やしぶろ

適当にやっていきたいです。

感動の昇華

なにかしら長々と書こうかとも思っていたけど、感動とかってきっと言葉にするもんじゃないので控えておく。ああいうのは形にしないで、気持ちとしてやんわりと心で覚えておけばいいのだ。

裏方数十人のスタッフがつくりあげる煌びやかなステージ、スクリーン、そしてたった3人のために集まった1万人以上の人々。

全部言語化はできないけど、作る側の視点でずっとステージを見ていたと思います。自分もあんな風に大勢の人々を動かせるかなとも考えてました。

数年では足りない、並みの根性では足りない努力でしょうね。そして1人ではできないことです。3人でもきっと足りない。

 

たぶんあの会場にいた人らの大半は作る側の人間じゃなくて享受する側の人間だろうなと思います。いろんな人と話しているとわかるけど、ものを作る人間ってのは結構珍しい。私の周りはそういう環境で固まっているのでいろいろクリエイティブな人間が多いけど、ちょっと一回り遠い友人たちをあされば消費者がわんさかとでてくる。

一辺倒な人間も珍しい。大事なものをいくつも抱えてる人は、やりたいことがいっぱいあって、一番も何も決められない。どれも好きっていう人がたくさんいる。

自分の場合はもう逃れられないといった方が正しい。そして許容範囲が狭い。いや許容範囲は広いけど、好みの幅がすごく狭い。よくわからないものには「ふうん」としか言えなくなる。

 

 

創作を一人でやるって、まぁ趣味なのでいいのですが。たくさんの人の手が入ればきっともっとたくさんのことが見えてくるよな。

アリーナの会場に比べれば自分の抱えてる世界なんてアパートの部屋一つ分みたいなもんだけど。自分の持ってるもんと得てきたもんを大事にしながら生きる大切さってのは、きっとどこにいても変わらないんでしょう。

どうしたって一人では限界があって、アシスタントだっていないしシナリオを一緒に考えてくれる人もいない。見守ってくれる人はいるけど、本作業は全部自分ひとりでやることになる。

一人でやるしかないなら一人の土俵で頑張るしかないし、アパートの部屋一つ分でも一生懸命生きるしかないし、辟易したって嫌になったって始まるものはなにもない。

 

突き詰めれば芯にあるのは気持ち一つだと思います。漫画が描ければいいよ、それでいいよ。

多分身の丈に合わない目標では、たどり着きたいところに行けない。有名になりたいとかなんとか、そういうのを一番に考えていたらダメだと思う。有名人は、有名になろうと思って努力してきたわけじゃないから。有名になる目標の一歩手前、一番大事なところに本当の目標があったから。

得た感動は自分の中で作り変えられて、新たな話となって出ていくのかと思います。責任も義務もない、別にいなくなったって構わないたった一人の土俵で、描きたいからという理由でこの先もやっていくんでしょう。